Monday, July 11, 2016

American Unrest: Officers Shot, Killed in Dallas

by MICHAEL YON8 Jul 2016


動揺するアメリカ: ダラスで 警官複数が銃で狙撃され死亡

イラクやアフガニスタン、ベトナムなどで戦った退役軍人の多くは、今、大々的に報じられているこのニュースを一般の人とは異なった視点から見ている。

例えばイラクでは、2004年に全てのコントロールが効かなくなり始めてから、各自がてんでんバラバラな理由で戦うようになった。戦況の行方は専門家にも分析困難だった。誰が誰となんのために戦っているのか、我々の情報機関も把握できなかったほどだ。

紛争と戦闘のカオスのさなかに、平時には目立たない狂気の過激派が 噴出する。そういう状況では、シリアルキラー (連続殺人犯)による犯罪があたかも反乱軍兵士か武装集団の仕業のように見える。犯罪は急激に増加し、銀行強盗ですら戦闘行為の一部のように見えてくる。

怒りからでもなく、精神異常者でもなく、野に放たれた犯罪者でもない 正常な者が、何かの動機に基づいて信念を持って戦っているのだが、彼らの目指す目的は様々であり、往々にして相互に敵対するものとなっている。

支配者に背き乱を起こしつつも互いを標的に戦闘行為を繰り返す。グループでの内乱は避けられない。グループAのメンバーが同じグループの誰かを殺害し、グループAがBとCに 分裂する。そうやって 程なく多数のグループが結成される。

朝の巡回時、担当地区の道路に転がっていた頭の無い死体は、アルカイーダ(al Qaeda)に殺されたアルカイーダのメンバーかもしれないし、あるいは伝統の支配者(Jaish Ansar al-Sunnah)グループによって殺害されたバドル旅団のテロリスト(Badr Brigade terrorists)の可能性もある。場合によっては、地元民が、脳内で聞こえる「殺せ」という命令に従って殺した近所の住民かもしれない。

銃を所持していない状態で殺された人間は、一般市民の犠牲者として記録に計上される。一方、米国内における「戦闘員」はドラッグと売春の勢力範囲でしのぎを削る、地元や全国規模のギャングの一味である。 犯罪組織の一員であれ、警察官であれ 彼らに殺された者は戦死者としてカウントされる。

戦争では犯罪者と精神異常者が彼らの潜在能力をフルに発揮する。

単に戦闘が好きな者もいる。彼らは少しでも戦いを正当化する理由があればどんなものも己のものとする。神の啓示を受けたと言って自律心無しに銃を扱う若者は、この地球上で最も危険な動物だ。

イラクでは昔も今も様々な部族が互いのテリトリーを守るために戦っている。宗派と宗派の衝突、クルド民族対アラブ人などの民族闘争、イランとアメリカなどそれぞれの国益のための国対国の闘争。

反乱軍は数え切れないほど存在する。その設立の動機も数え切れない。多くは地元民が小さな区域を支配しているものだ。一晩で反乱軍はできあがる。大概、ザルカウィ(Zarqawi)のようなカルト活動家に影響を受けている。

こんなことが米国で起こったら、精神異常者か、犯罪者か、ただ単に 黒幕に立ち向かっている行為、などとみなされるであろうが、その原因は、あらゆる意味での文化的対立であり、白人と黒人の人種間の対立など全体のごく一部に過ぎない。 つまり宗教の対立をはじめとして、環境テロ、反グローバリズム、イルカ漁反対運動、鯨漁反対運動、妊娠中絶反対運動、反ユダヤ主義など、その全てがなかなか解決しない問題であり、暴力の萌芽を秘めている。

これらのどれもがイスラム過激派に利用される可能性があるが、一方で、それに対抗する反イスラム派の暴力もまた激しさを増すことは明白である。

だれもその行き着く先を知らない。

ここでこれを終わりにして前に進むか、あるいは暴力の連鎖に沈んでいくか。

暴力が最高潮にまで達したら、米軍の予備部隊である州兵軍は 都市を救うことはしない。モグラ叩きで標的を潰そうとして、その結果、国民からは過剰反応だと非難され、反対派を勢いづかせることだろう。

警察などの法執行機関や政府は究極的には 国民を制御できない。制御できると思うのは幻想だ。 象使いは象を制御しているわけではない。象が正気を失ったら、象使いは踏みつけられてぺしゃんこにされてしまう。

何百万人ものアメリカ人がいろいろな理由で、ガッカリしたりいらついているが、その多くは、もはや米国には正義が存在しない、あるいは正義が極度に軽んじられていると多くの国民が感じているからである。


BLM運動(Black Lives Matter: 黒人の命だって大切だ)は彼らなりの意図があって根拠が無いわけではないが、それはしかしテロリズムを生み出すきっかけともなり得る。一方では、FBIを、法を超越するというよりも自分達自身が法律であると思って振舞っているクリントンやその仲間の特権階級の傀儡である、とみなす人々もいる。

切羽詰まった問題は明白である:数百万のアメリカ人が 政府の不正を目撃したので政府を信用できないと思っているのだ。

多くの人々が様々な道をたどって同じ結論に至る。
BLM運動は人種差別をやめさせるために始まったものであるが、その0.1%の人間が他の99.9%の人間のための法律を思うように操っているのをみるにつけ、いい加減にしてくれ、という気持ちになっている。


今回、政府は過剰に反応してBLMへの反対運動をより暴力的にさせるような愚を犯してはならない。これに失敗したときの代償ー社会混乱はとてつもなく大きいものになるだろう。






5 comments:

YK said...

銃社会をアメリカはやめることってできないのですか?
私は、子供のころアメリカにあこがれてアメリカに留学希望でしたが
けっきょく、留学したのはオーストラリア。
理由は、銃が怖い。でした。

ところで、ニュース
香港の天安門記念館が閉館しました
http://www.sankei.com/world/news/160711/wor1607110023-n1.html

laughing Salesman said...

YKさん:

>銃社会をアメリカはやめることってできないのですか?

比較的長期間(例えば1ヶ月)、それも北部の大都会ではなくて、南部や中西部の田舎町を旅行したら、「まずムリだろう」ということが実感できると思います。

電話ひとつで5分もあれば「おまわりさん」が駆けつけてくれる日本と違って、人家と人家との間が非常に隔絶している。Inter-state Highwayでさえ街路灯が付いてなくて、ヘッドライトの灯りだけで走るわけで、それが200kmとか300kmとか、地図に名前がある次の町まで続く。ガソリン・スタンドだけは、あちこちにあるから、ガス欠になる恐れはないけれども、比較的に人口が集中している都会を除けば街中でも真っ暗に近い。

それから、社会全体が犯罪と隣り合わせなのだろうという緊張感は、日本の比ではありません。

私は若い頃、古戦場めぐりが好きで、関東から関西にかけては、ほとんどの古戦場に行っているのだけれども、たいてい、車を使えば長く時間をとっても一泊か二泊で往復できるから、車中で仮眠を取って、目が覚めたらそのまま高速を走って帰路に着くなんてことも珍しくないわけです。ところが、40歳になった頃、アメリカで南北戦争の古戦場めぐりをやっているときに、車中で仮眠を取ろうと建物の陰に入って明かりを消したとたん、後ろからパトカーが忍び寄ってくる。パァとライトで照らされたと思うと、腰の拳銃に手をかけたままの警官がやってきて職務質問されます。警官は私を強盗と疑っているわけで、これを数回、経験しました。つまり、モーテルに泊まらないで、建物の物陰で明かりを消した車の中にいる奴は強盗に決まっているというのが、あっちの相場なのです。

職務質問だって、日本のように、警官二人がメモを取りならが同じところに突っ立っているなんてノンキなものではありません。前方の警官は左手でライトを持ち、右手は腰の拳銃に手を当てながら質問し、二十メートルぐらい後方にもう1人がいて、前方の警官が倒されたら、後方の警官が私をいつでも撃てる形で立っています。日本人の旅行者だと説明し、パスポートを出そうと座席のバッグに手を伸ばすと、ライトの光が私の手を追ってくる。こりゃ、全ての動作はゆっくり、相手に他意はないことを知らせながら動かないといけないな、と思いましたね。

タクシーに乗って、運転手さんと直接に手渡しで金銭授受ができることは滅多にありません。たいてい、前の席と後ろの席が、強化プラスチックで隔てられていて、小窓を通じてしか授受ができない。コンビニと併設されていないガソリン・スタンドも同じです。強化プラスチックの向こうの人物と、引き出しのように押し引きする金属製の箱を通してしか金銭授受ができない。

パトカーは事実上の「移動交番」なので、ある程度の規模の町なら、日本と同じように呼べばすぐ来るという体制は、できると思うけれども、犯罪の発生率が高くて、あっちにもこっちにも詰め所を作らねばならない、となると、おのずと限界があるわけです。よって、「自分と家族の身は自らが守る」というのは、自然の感覚として定着します。(続く)

laughing Salesman said...

(前から続く)

まだ大水に浸かる前のNew Orleans 市の大きな図書館に行ったときですが、図書館の入口に、空港で見かける金属探知機のゲートがあって、傍らに黒人の警官が一人詰めていました。「俺は日本人の旅行者だけれども、アメリカでは図書館の入口を警官が見張っているのか?」と聞いたら、何をバカなことを聞くのかという呆れた表情で、しばらく返答に困っている様子。まさか普通に勤務していて、東洋人に、こんなこと聞かれるとは思わなかったのでしょう。やっと「これが普通だ」と応えよった。

Metal Shopという店があちこちにあって、金物屋のことかな、と思って覗いてみたら、拳銃が山ほど売っているじゃないですか。警察も、古くなった銃のオークション・セールや蚤の市をやります。

グレイ・ハウンズと(長距離バス)の中で、二十代と思われる兄チャンたちと仲良くなって世間話をしていたら、自分は最近、どこそこのメーカーの何型の拳銃を買ったという話が、ぽんぽんと出てくる。これほど、一般市民にまで広範に普及している銃の「刀狩り」なんて、できるもんじゃない。戦争で使うAssault Rifleやカラシニコフ銃は必要ないだろう、という程度の規制が関の山と思います。

それから、アメリカでは戦争が忌まわしい記憶として残っていない、という側面も大きいと思います。幾つかの戦争博物館にも行ってみましたが、ヒトラーの執務室にあった日誌が戦利品として陳列してあったり、戦車や野戦砲が野外に無造作に置いてあったり、ベトナム戦争中のジェット機が吊るしてあったり、軍艦(「アラバマ号」だったと思う)が一隻まるごと係留したまま民営の博物館になっていて、砲塔や弾層まで入っていける。横須賀の「戦艦三笠」なんて比べ物にならない、バカでかい奴ですよ。それが寄付金だけで維持している民営です。

こうしてみると、アメリカの子供らは、幼い頃は両親に連れられて独立戦争や南北戦争の古戦場に行き、ゴルフ場のように良く整備された戦場公園battlefield parksのそこらじゅうに何十台も無造作に置いてある黄銅砲brass canonにまたがって戯れ、長じるに従って第二次大戦時に使われた軍艦や戦車の実物を目の当たりにし、1970年代なら「コンバット」「ラットパトロール」、最近なら「プライベート・ライアン」のように英雄が出てくる戦争活劇とともに育ち、戦争は「栄光の過去」として記憶されていく環境にあると考えていいと思います。

これは、日本人の子供が、いわゆる日教組教育の自虐史観のなかで育ち、戦争を本土空襲・原爆投下などの悲惨で忌まわしい記憶と共に学ぶこととは、大きく異なります。このことが、人間の深層心理に長期に渡って及ぼす影響もバカにならない、と思います。日本人が大量殺人と聞いたら「八つ墓村」みたいな「事件」しか思いつかないでしょう。それは、中共がいくら「南京大虐殺」を宣伝しても、我々に、その記憶がないからです。アメリカの場合はどうなのか。力がものをいう戦争を繰り返せば、他民族の身の上に対する「思いやり」の精神が希薄になっていくことは容易に想像できます。巨大な暴力の記憶がDNAに刻まれる、というのは、決して絵空事ではないと思う。だから、朝は空爆の話題で盛り上がり,夜は人権がどうたら、という自分勝手な奴らになる。

こうした、自衛手段として既に広範に銃が普及している現実と、現実の社会での必要性、精神の奥底に潜在的に影響を与える様々な要因が、銃社会をやめる要素を妨げていることは、容易に想像ができます。

秀吉の「刀狩り」から始まって、明治初期の警察制度の創設、夜中でも女性が歩ける街路灯の普及、暴力団に対する数次の頂上作戦と云う治安対策の積み重ねの上に、犯罪発生率の少ない社会に住んでいることを、我々は有り難く思わないといけません。

YK said...

またまた中国ニュース

中国 5年間で党政府幹部120人が自殺・異常死
http://googleweblight.com/?lite_url=http://www.zakzak.co.jp/smp/society/foreign/news/20160710/frn1607101712005-s1.htm&lc=ja&s=1&f=1&client=twitter&host=www.google.co.jp&ts=1468209267&sig=AKOVD6690xUxu5A2i3xSgIjTVA5VnToWkQ%20%E2%80%A6

MM said...

>銃社会をアメリカはやめることってできないのですか?

不可能ですね。現状をみるとますます無理なのが分かります。このところ Black Lives Matter のスローガンのもとに各地で黒人デモが頻発してるのですが、日に日に過激になり、先日はいきなり警官数人が射殺されました。「白人は殺せ」と叫ぶ過激な集団も現れて米国の人種対立はとどまるところを知りません。
ヨン氏のFBにこの種の集団の記事が載ってます。グループのリーダーは「米国内に白人と黒人別々の国家を作るべきだ。黒人はみな南部5州に戻る、そうすれば白人は自然に出て行く」と公言しています。
New Black Panther Leader:
Blacks Need to Migrate to Five Southern States, Form ‘Country Within a Country’..

米国人の銃に対する意識を知りたいなら、だいぶ前に起きた服部君事件(ルイジアナに留学中に射殺された高校生)の状況が参考になると思います。彼らは自分の敷地に”侵入”した”不審な人物”を射殺しても当然のことと考えるのです。油断すると自分がやられるとの意識です。警察は事情を聴いただけで無罪放免としたが、日本で大騒ぎになったので「事件」になっただけの話です。この男は「奇妙な恰好(ハロウィーンの日)をした東洋人が警告を無視して近寄ってきたので恐怖を感じた」と証言してました。それが正直なところでしょう。日本人にすれば「道を聞きに行っただけの人間をいきなり撃った、信じられない!」となりますが。